北村のあゆみ

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更新日:2022年04月01日

北村の概要ー緑のキャンパスに夢デザイン

歴史

  • 北村106年の肖像
  • 1900年に踏み出された
  • 北村の歩みは
  • 理想に向け
  • 力強く進められてきました。

明治という新しい時代を迎えた中で、それまで未開の地とされてきた北海道に開拓使が置かれ、本格的な開拓が強力に推し進められました。その勢いは著しい速さで内陸へも進み、手宮~幌内間の鉄道開通、樺戸・空知両集治監を結ぶ囚人の手による連絡道路の開削などにより、岩見沢をはじめその周辺にも入植者が現れるようになりました。

北村でも明治16年、樺戸集治監の見張り役として札幌から訪れた滝本嘉助がビバイタップに入地。北村のはじめの定住者となりました。
その後、明治24年に現在の幌達布から砂浜一帯に原田東馬が農場を開設。農場内に寺子屋をつくり、これが北村のはじめての教育施設となりました。なおこの寺子屋は、後に幌達布小学校の前身となりました。
原田農場に続いて大農場を開設したのが、北村の村名にもなった山梨県人の北村雄治です。北村雄治は、明治27年に狐森一帯の広大な土地に北村農場を開き、農場の発展に情熱を注ぎました。
入植者が増えるにつれ、徐々にまちが形成されてゆき、駐在所や教育所、郵便局などもできました。
そして明治33年7月1日、北村は記念すべき時を迎えます。かねてから行われていた岩見沢村からの分村運動が実を結び、独立した北村の歩みがはじまったのです。初代戸長には、空知郡市来知・幌内・幾春別村の戸長であった天野剛が任命され、狐森の請願巡査派出所を仮戸長役場として開庁しました。その後北村戸長役場庁舎の建設に取り掛かり、明治34年に新築落成しました。しかしこの庁舎は、わずか7年後の明治40年に類焼により焼失し、再び仮庁舎での業務となりました。
北村の発展に大きく貢献した北村農場では、牧場を開設しバターの製造に取り組んだり、綿羊飼育をはじめるなど、幅広い事業を展開。優れた綿羊やホルスタインの飼育の実績を築き、品評会でも優秀な成績をおさめ、北村の名を全国に広めました。
北村は大正8年に二級町村制を施行。昭和に入ると、北村農場を筆頭に農地解放が勧められました。そのような中、昭和7年の8月から9月にかけ、8回もの豪雨に襲われ、大水害が発生します。農作物を中心に甚大な被害をもたらしたこの洪水を機に、治水工事が積極的に進められるようになりました。
長い戦争が終わり、人々にもようやく笑顔が戻りはじめた昭和24年、北村は開村50周年を迎え質素な中にも盛大な記念式典が行われ、村章や村歌も披露されました。
土地改良や機械化が進む農業は、大型トラクターの導入などで水田の経営規模が拡大、増産体制を確立します。黄金色の稲穂の波が一円に広がり、北村は米どころの地位を築いていきました。しかし昭和45年頃からはじまった米の減反政策の影響から、徐々に経営は厳しさを増していきます。また、一方で人口流出や高齢化などの問題も、大きな問題となってきました。
北村では、そのような時代への対応策として、後継者の育成や優良農地の保全・確保に努め、農業基盤や生産施設の整備・充実を図ってきました。
また、「北村温泉ナーシングホーム」や高齢者福祉センター「えみる」の開設など、高齢化社会に対応した福祉施策も充実させてきました。それとともに、ゆとりある暮らしづくりに向け、公園やスポーツ施設などの整備も進められました。
また、昭和58年に噴出した温泉は、「やすらぎ温泉」として癒しのひとときを提供し空知の公営温泉の草分けとなった。文化の保存、伝承に向けた「北村太鼓同志会」の設立、「きたむら田舎フェスティバル」の開催、旧小学校などを利用したアトリエをはじめ、自然環境や歴史を生かしながら北村の個性を磨いていきました。
そして平成11年、北村は開村百年を迎えます。記念モニュメントの設置をはじめ各種記念事業が行われ、7月1日には開村記念式典および祝賀会を開催。歩み続けた悠久の時を、盛大に祝いました。
百余年にわたる北村の発展の歴史は、郷土を愛する先人たちの血と汗の努力により、築き上げられてきました。その思いはこれからも、この地に生きる人々のこころに、しっかりと受け継がれ続けていきます。

年表

年表一覧
安政3年(1856) 松浦武四郎、ニイルルヲマナイに宿泊。
安政4年(1857) 松浦武四郎、石狩川水源調査の際、ニイルルヲマナイに宿泊。
安政5年(1858) 松浦武四郎、十勝への途次、ニイルルヲマナイに宿泊。
明治16年(1883) 滝本嘉助(札幌区出身)が、ビバイタップに入植。石狩川(月形~江別間)に監獄汽船の鉄船(神威丸・安心丸)が就航。
明治17年(1884) 岩見沢村ができ戸長役場設置。札幌郡役所の管轄。(のちに北村は、岩見沢村の第十二、十八、十九、二十区となる)。
明治22年(1889) 石狩川汽船会社が設立。 上川丸(62トン)・空知丸(35トン)就航。
明治25年(1892) 太田重観、浄土真宗大谷派説教所を幌達布に開設(北村開宗の初め)。
明治27年(1894) 北村雄治(現在の山梨県若草町出身)、狐森一帯の土地を選定し、140万坪の貸下げを受け、中島に仮事務所を建設。移民を受け入れ、開墾に着手する。太田重観、幌達布に寺子屋開設。(北村教育の初め)。北村農場に請願巡査駐在所が開設。
明治28年(1895) 霜田教善、北村農場に入り布教。浄土真宗大谷派超世山浄土寺を開山(第二区乙)。霜田教善、狐森に寺子屋を開設(北村小学校の基)。
明治30年(1897) 狐森の寺子屋、岩見沢村第十二区補助教育所と改称(岩見沢より経費の一部を受ける)。下美唄郵便局設置(北村郵便局の前身。局長は白石武資)。
明治31年(1898) 大水害。千間道路開通。
明治32年(1899) 北村農場、月寒の吉田善太郎より雑種牛3頭を買入れる。石塚五右衛門・高岡嘉平が美唄達布で水田耕作に初成功。
明治33年(1900) 7月1日、岩見沢村より分村独立(北海道庁告示第208号)。北村雄治の姓にちなんで村名命名。村内を6部落に分割。北村農場内の巡査駐在所に仮戸長役場を開庁。初代戸長、天野剛。
明治35年(1902) 北村農場、鏡沼より揚水し水田耕作を試みる。北海道初の米国製ヒューガルポンプを使用。下美唄郵便局を北村郵便局と改称。
明治36年(1903) 戸長役場庁舎増築。北村雄治増築費70円を寄付し、北海道庁長官より表彰。
明治37年(1904) 片倉農場、養蚕に着手。
明治39年(1906) 和田直平、第二区に北村医院開業、村医を委嘱される。北村の全開墾地120町歩となる。
明治40年(1907) 北村駅逓所開設。隣家の失火により役場庁舎が全焼。
明治42年(1909) 大出水。「開発は治水から」の声が上がる。
大正5年(1916) 北村黽、飼羊組合を結成。綿羊37頭を組合員に分配し飼育を行う。
大正8年(1919) 二級町村制施行。北村は二級村に指定。初代村長に、高橋熊次郎。平和博覧会(東京)の綿羊の部で金・銀・銅賞を独占する。
大正13年(1925) 羊毛加工のホームスパン開始。
大正14年(1925) 北村~岩見沢間にバス運行(鈴木初三郎・竹内亀之助・須藤由太郎・川岸庄作らの共同経営)、冬期間は馬橇使用。各部落に自警団が結成され始める。
昭和元年(1926) 青年訓練所が開設(北村、第一区、幌達布、砂浜)。青い目の人形使節来る。
昭和2年(1927) プロレタリア作家の小林多喜二が取材のため砂浜に立寄る。石狩川の汽船、定期運航が廃止される。
昭和5年(1930) 幌達布地区の一部、袋達布の新篠津村行政区編入を告示し移管(住民運動発起から10年目)。北村郵便局、電話業務の取り扱いを開始(公衆電話)。
昭和6年(1931) 初めての暗渠工事(豊里地区)。北村農場の一部の農地開放始まる。
昭和7年(1932) 石狩川大水害。北村最大の被害となる。(8月から9月まで7回、浸水期間約1ヵ月間。農作物の被害79万円)。
昭和9年(1934) 石狩川第二区工事開始。砂浜治水工場できる。
昭和10年(1935) 石狩川定期船完全廃止。
昭和13年(1938) 北村郵便局で電話交換業務扱い開始。
昭和14年(1939) 警防団結成(自警団は発展的に改組)。
昭和16年(1941) 幾春別川放水路開削工事着手。太平洋戦争始まる。
昭和17年(1942) 国際婦人会、大日本婦人会北村支部と改称。小樽市街自動車株式会社ほかの統合業者により、岩見沢~月形役場間のバス運行(中央バスの前身)。
昭和20年(1945) 第二次世界大戦終わる。
昭和21年(1946) 産業組合解散し、北村農業会として発足。市町村制改正により、北村は普通村となる。部落会を廃止し、駐在員制度に改正(14駐在区)。
昭和22年(1947) 自治法改正により初の村長公選、小木曽孝義が当選する。六・三制教育となる。新消防法により、警防団を北村消防団と改称。北村消防団設置条例制定。
昭和24年(1949) 北村中学校校舎落成(豊里、この際、赤川分教場廃止し本校に合併)。北村役場の出張所を岩見沢幌向に開設。第二区(二、三部落)・大願・中小屋第二の一部・赤川・幌達布に電灯点灯。
昭和25年(1950) 白幡信雄(第二区甲)、自費で部落内有線放送を開始。
昭和26年(1951) 『北村報』創刊。岩見沢~旧北村役場間に国鉄バス北新線が開通。初めての成人祭を挙行。
昭和27年(1952) 岩見沢~新中小屋間に国鉄バス大願線が開通。
昭和29年(1954) 15号台風上陸(岩見沢の最大瞬間風速3909メートル)、北村で甚大な被害(1億8千3百万円)。29年度北海道第6回入植増反の売渡し予定地区に対する北村分決定(第1次分15名が美唄達布・大願両開拓地に入植)。
昭和30年(1955) 第二区甲の二部落16戸、大願開拓団地45戸、赤川開拓地98戸に電灯点灯。
昭和31年(1956) 役場新庁舎が完成(赤川593番地1)。事務一切の移転完了。移庁式と開村57年記念式を併せて挙行。簡易水道敷設完成(この時、自家水道する家9戸)。北村連合青年団、北村青年団体協議会(北青協)と改称。北村連合婦人会、北村婦人団体連絡協議会(婦連協)と改称。大水害。
昭和32年(1957) 国鉄バス青木線が運行開始。北村簡易水道浄水場完成、通水開始(普及率33.7%、延長140キロメートル、287戸)農村公衆電話が設置。
昭和36年(1960) 北村巡査駐在所を狐森から赤川乙に移築。
昭和36年(1961) 道央地方一帯に大豪雨。北村の築堤が決壊し、大出水により甚大な被害(昭和7年以来の洪水といわれる)。
昭和37年(1962) 台風9号、10号による大水害。大曲は孤立し月形町に避難(一部ヘリコプターによる救助)。被害総額10億7千万円。ヘリコプター3機による水稲農薬散布実施。北村学校給食センター、中央小学校に併設(センター方式による学校給食は北海道で初めて)。電話交換所を開設(美唄達布・豊里・大願・赤川)。
昭和38年(1963) 高橋宗敏宅(高橋農場)の水田で、北海道初のヘリコプターによる水稲種まき試験を実施。38年産米出荷状況、年末には、開村以来の29万俵となる。
昭和39年(1964) 簡易水道給水区域拡張に伴い上水道となる。道道岩見沢月形線のうち市街地区の舗装が完成。
昭和40年(1965) 岩見沢地方集中豪雪(北村が雪で埋まる)。泥炭地水田機械の試験実施(猪岡辰夫・高橋三郎宅の水田)。岩見沢市商工会(会長、天野忠雄)より北村との合併についての要請書が届き、合併問題が起こる。
昭和42年(1967) 北村開拓農業協同組合が解散(各既存農業協同組合に合併)。
昭和43年(1968) 村内4中学校を統合し、北村中学校として発足。スクールバス運行開始。
昭和44年(1969) 村営プール完成(北村中央小学校横)。
昭和45年(1970) 猛吹雪により、3日間交通途絶(豊正・東方面中学生、中央バス乗客ら公民館に泊る)。旧北村中学校の建物、失火により類焼。地域集団電話開通(旧名称は農村集団自動電話)。
昭和47年(1972) 消防に関する事務を共同処理するため岩見沢消防事務組合設立(岩見沢・栗沢・月形・北村)。
昭和48年(1973) 北村役場幌向出張所を廃止。
昭和50年(1975) 台風6号の水害により石狩川築堤700メートルにわたり決壊し溢水。国鉄バス3日間運休(被害額26億8,587万8千円)。石狩川の氾濫は13年ぶり。
昭和53年(1978) 北村全域電話自動化完了。岩見沢夜間緊急センター完成(北村も利用可能)。
昭和54年(1979) 村の花『アヤメ』、村の木『イチイ』を指定。小木曽新村長誕生。開村80年記念として、村のシンボルタワー建設(中央公民館)。開村80年記念として、村界標識(村内5か所)・分村記念碑(美唄達布、小木曽正宅裏)、史跡松浦武四郎宿泊地碑(中央、瀬能正利宅敷地内)再建。開村80年記念映画制作。
昭和56年(1981) 村営野球場完成。集中豪雨による大水害で甚大な被害(被害総額57億9千8百万円)。村旗を指定。
昭和58年(1983) 北海道初の「四つ子ちゃん」誕生。空知管内で初めての「高温42℃塩泉」噴出(毎分450リットル)。
昭和59年(1984) 北村農業者トレーニングセンターオープン(記念バレーボール大会開催)。北村地域休養施設オープン。
昭和60年(1985) 北村農村環境改善センターオープン。北村農村情報連絡施設(無線システム)通信開始。
昭和61年(1986) 天然ガス、石油探査の試掘ボーリング(栄町2,600メートル)開始。
昭和61年(1987) 天然ガス、石油探査の試掘ボーリング(中小屋1,150メートル)開始。
昭和63年(1988) 北村赤川鉱山開鉱。
平成元年(1989) 北村農業技術拠点施設開所。
平成4年(1992) 北村農産物加工研究センター開所。「北村温泉ナーシングホーム」、「北村クリニック」「北村歯科医院」開設(4月1日開業)。北村国保診療所、北村歯科診療所閉所。幾春別川新水路事業に係わる覚書調印。農産廃棄物処理施設焼却炉完成(ゴミの分別収集開始)。
平成5年(1993) 桜づつみ公園完成。コンピューターによる住民情報処理システムが稼働。
平成6年(1994) やすらぎ温泉リニューアルオープン。第8回北海道むらこん24in北村開催。
平成7年(1995) 自治会数半減目指し交付金制度。村上新村長誕生。ブライダル・プレゼント条例該当者第1号誕生。
平成8年(1996) 村内5つの小学校閉校。美唄達布地区コミュニティセンター完成。
平成9年(1997) 住民混乗スクールバス運行開始。北村小学校(村内5校統合)開校。北村多目的体育館「土里夢」オープン。
平成10年(1998) 東地区自然体験宿泊学習舘「ぱる」(旧東小学校)オープン。北村米穀乾燥調製施設「きたむら」落成。
平成11年(1999) 北村高齢者福祉センター「えみる」オープン。開村百年記念モニュメント設置。開村百年記念式典・祝賀会挙行。記念事業実施。堆肥製造施設・籾殻くん炭処理施設落成(米穀乾燥調製施設敷地内)。森森ヘルシー公園パークゴルフ場完成。石川啄木歌碑と鹿子百合の碑できる。
平成12年(2000) 山梨県若草町(北村雄治、出生の地)と友好姉妹町村締結調印式。
平成13年(2001) 幾春別川新水路事業の一環、道道岩見沢石狩線の移設に伴う3橋(北幌橋・大沼橋・新水路橋)が完成。
平成14年(2002) 砂浜コミュニティセンター落成。
平成15年(2003) 任期満了による北村長・北村議会議員選挙が2月23日(日曜日)に告示され、現職の村上宗範氏が無投票で3選を果たす。北村議会議員選挙の投・開票が2月28日(金曜日)に行われ、前回投票率の95.41%には及ばなかったものの、93.45%の投票率にのぼった。
平成16年(2004) 平成15年4月から始まった新庁舎建設工事(実施設計は平成14年10月から)の本体工事が同年12月に完成しました。この新庁舎は、鉄筋コンクリート造(一部鉄骨)、建築面積は2,333.6平方メートル、延べ床面積が3,387.09平方メートル、道道岩見沢月形線を正面とした2階建てで、より開かれた庁舎をイメージし、正面はガラス張りで玄関の左側には、子どもからお年寄りまで気軽に集まり、交流ができる今までにないくつろげる空間と図書などの閲覧スペースを設け、地域コミュニティの場として地域文化や産業の活性化につながるよう設計されています。
平成18年(2006) 3月27日岩見沢市、栗沢町と合併し、岩見沢市となりました。

この記事に関するお問い合わせ先

北村支所
〒068-1213 北海道岩見沢市北村赤川593番地1
電話:0126-56-2001
ファックス:0126-55-3177


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