農業の歩み

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更新日:2023年12月01日

鉄塔が並び、ゴンドラで土を運ぶ様子が打つる昭和44年大願地区の索道客土の白黒写真

索道客土(昭和44年大願地区)


開拓当初は自給自足を目指し雑穀や麦が栽培され、明治19年ごろから稲の試作が広まりました。寒さに強い優良品種の開発や栽培方法の改良に加え、明治35年の土功組合法の施行が造田の追い風となり、同年に川向土功組合が結成、現在の稔町から西川町にかけて用水路が整備されたほか、各地の水利組合や土功組合が灌漑設備の整備維持に努めました。中でも、大正11年認可の北海土功組合が昭和5年に完成させた用水路は、現在の赤平市から南幌町まで延長約80キロメートルにおよび、市内を含む当時約10000ヘクタールの農地を灌漑し、今日の米どころ誕生の礎いしずえとなりました。また、北村、栗沢を中心に畑作経営を補うための酪農業が広まり、綿羊など副業としての畜産も盛んに行われました。

戦後は食糧増産を目的に農地開発が進められ、石狩川流域の広大な泥炭地は、明渠・暗渠による排水、索道や軌道を駆使した客土で水田へと変わりました。また大型機械の導入にあわせて圃場整備も進み、より効率的な生産が行われるようになりました。

栗沢町農業協同組合ライスセンターと壁に書かれた自協ライスセンターの白黒写真

自協ライスセンター竣工(昭和43年)

幾度もの風水害や冷害を克服し、稲作を中心に発展した農業は、昭和45年からの米の生産調整と転作奨励、さらに対外的な農産物市場の開放により転換期を迎えました。そこで良質な米の生産を目指し、各地にライスセンターが整備されたほか、米に代わる小麦や大豆、玉ねぎなどの野菜、飼料作物、花卉など、多様な農産物を生産する経営形態へと変化していきました。

近年では、農家戸数や農業従事者の減少、消費者ニーズの多様化、温暖化を起因とした気象変動などの課題に的確に対応するため、輪作による生産性の向上、農業経営の法人化、農作業の効率化・省力化、コスト縮減に向けたスマート農業機器の活用など、持続可能な農業への取り組みが続いています。

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