開拓者の思いが息づく無形文化財

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更新日:2023年08月10日

赤い絨毯の舞台の上で、着物を着て雅楽を演奏する岩見沢雅楽会の写真

岩見沢雅楽会

明治時代の北海道には、各地からの移住者とともに多様な文化や慣習が持ち込まれました。市指定の無形文化財も、移住者の出身地の文化に由来します。
三管三鼓と呼ばれる笛や太鼓の演奏者で構成される岩見沢雅ががく楽会は、法要の際に雅楽を演奏する本願寺式が根付いた富山県や福井県から大願町、金子町へ移住した人々が、明治末期に同好者で集まり演奏したことに始まります。大正2年に東本願寺から雅楽の指導を受け、農業に従事しながら研さんを積み、岩見沢神社の大祭や法要等で奏楽を続けました。昭和40年には同好会発足50周年として名称を岩見沢雅楽会とし、昭和43年、岩見沢市で初の無形文化財に指定されました。

神社内の石を敷き詰めた通路で、手前にいる白い鉢巻で赤い衣装を着た子供たちが手に棒を持ち、奥に獅子舞をけん制しているような様子が写る、砺波獅子舞の写真

砺波獅子舞

砺波獅子舞は、栗沢町砺波に団体移住した富山県東西両砺波郡出身者が伝えた獅子舞です。頭の重さ8キログラム、胴幕の長さ13メートルの獅子に7人が入るほか、獅子取の子ども10人、伎楽12人など総勢40数名編成で、五穀豊穣や家内安全の祈願、祖先供養として、移住者の心を癒し団結を強める重要な行事として継承されました。他町村に招かれて出張奉納を行ってきたほか、昭和47 年に栗沢町無形民俗文化財指定を受け、昭和50 年には文化庁主催の北海道東北ブロック民俗芸能大会に北海道代表として出場するなど、地域を超えて広くその存在と価値が認められてきました。
2つの無形文化財は、郷里の芸能を修得した人々が北海道へ移住し、その技を日々の楽しみや癒し、また祈りや地域の団結のために披露することで形づくられ、その歴史的背景と特徴から地域の財産として文化財に指定されました。独特の技術修得と多くの人数を必要とするため継承は容易ではなく、現在はどちらも活動を休止していますが、移住者と郷里とのつながりを伝える証として後世に残したいものです。

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