岩見沢の誕生と成長

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更新日:2023年05月02日

第9回国民体育大会の開催を関係する歓迎するゲートが設置され、多くの人が行き交う昭和29年の岩見沢駅前のモノクロ写真

国体開催を歓迎する岩見沢駅前の様子(昭和29年)

明治17年から入植が始まり岩見沢村が誕生。明治18年にかけ山口県、鳥取県ほか10県から開拓士族277戸が入植しました。明治25年に栗沢村が、明治33年に北村がそれぞれ分村しました。低湿地帯が広がり、飲料水や農業用水の確保が課題で、市街地では明治41年に道内2番目となる上水道が整備されました。高等学校や病院などの整備も進み、昭和18年に岩見沢町は全国で201番目、道内で10番目に市制を施行。空知地域の炭鉱開発が進み、岩見沢は石炭輸送の中継地として発展し、昭和29年には国体ソフトボール、サッカーも開催されました。第2次世界大戦後は、土地改良や機械化により稲作をはじめ農業が発展し、栗沢村は昭和24年に町制を施行。その後、エネルギー転換により炭鉱の閉山が相次ぎ、国鉄万字線や幌内線が廃止された一方、高度経済成長期にかけて徐々に市街地が拡大し、自家用車の普及も進み、昭和49年に国道12号バイパス、昭和58年に札幌まで高速道路が開通しました。

左胸に赤い花をつけた岩見沢市長、北村長、栗沢町長の3人が握手をしている合併協定調印式の写真

岩見沢市・北村・栗沢町合併協定調印式(平成17年2月25日)

災害にもたびたび見舞われ、昭和56年8月には5日間で岩見沢で410ミリ、北村で422ミリもの集中豪雨があり、栗沢を含めて4000棟近い浸水被害を受けました。また、昭和44年と平成23年には豪雪被害も経験しました。平成18年3月27日に岩見沢市、北村、栗沢町は合併しましたが、これらの困難を乗り越えて築き上げた先人の苦労を私たちは忘れてはなりません。

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