岩見沢の炭鉱の歴史

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更新日:2024年10月28日

石狩炭田の成り立ち

石炭は、植物が水につかったまま腐敗せずに堆積し、地中で熱や圧力を受けることで生成されます。大陸や日本列島が現在の姿になる前、今から3000万年以上前の古第三紀の始新世の頃に、空知では岩見沢を含む芦別-夕張間の山間部の広い範囲で植物が堆積し石炭が生成されました。この時誕生した石炭の層とその広がりは、明治以降の調査と開発により石狩炭田として知られるようになりました。このうち最も早く炭鉱が開かれたのは、現在の三笠市に位置する幌内炭鉱です。

幌内炭鉱の発見

「新北海道史」によると、幌内炭鉱開発のきっかけは1868年(明治元年)、石狩に住んでいた木村吉太郎が、本願寺小樽出張所の建築資材を得るため幌内の山に入り、そこで発見した黒い石を持ち帰ったことにさかのぼります。これを見て石炭であることを知った島松の紺野松五郎は、自らも数個の石炭を持ち帰り開拓使へ報告し、幌内の炭層の存在が知られるようになります。

1872年(明治5年)、札幌の早川長十郎が同様に幌内で石炭を採取し開拓使に報告したところ、榎本武揚がこれを良質な石炭と認め、分析の結果、当時開発が進められていた長崎県の高島炭鉱に劣らない良質な石炭であることが判明します。1873年(明治6年)以降、開拓使御雇地質・鉱山技師長ライマンや榎本武揚らによる調査で幌内炭山が確認され、炭鉱を開くこととなりました。

鉄道の開通と炭鉱開発

1879年(明治12年)に幌内で石炭の採掘が始まり、当初は馬を使い石炭を運び出しましたが、より多くの石炭を効率的に輸送するため、1882年(明治15年)には幌内と手宮(小樽)を結ぶ幌内鉄道が開通しました。

1889年(明治22年)には鉄道と炭鉱を運営する新会社として北海道炭礦鉄道(北炭)が設立され、翌1890年(明治23年)に空知炭鉱及び夕張炭鉱を開き、それに伴って鉄道や道路の整備と新設が進みました。明治30年代以降は三井、三菱、住友などの財閥系資本の進出が始まり、空知管内各地に炭鉱が開かれるようになりました。

岩見沢市内の炭鉱

岩見沢市内の鉱業は、1905年(明治38年)、北炭が万字に万字坑を開坑したことから始まり、万字ではさらに1909年(明治42年)に葵坑(相生沢)、五月坑(二見沢)が開かれ出炭を開始します。同年には朝日でも採炭が行われ、馬そりで志文や岩見沢市街地まで石炭を運び販売した記録があります。万字炭鉱では当初、石炭を索道で夕張方面へ搬出していましたが、輸送量が限られることから鉄道敷設が計画され、1914年(大正3年)、志文と万字炭鉱を結ぶ万字線が開通します。万字線の開通後、沿線で炭鉱の開鉱が相次ぎ、朝日、美流渡、万字の各地域は多くの炭鉱関係者が住む住宅街と市街地が広がり賑わいを見せるようになりました。戦時中も出炭量は増加し、昭和30年代には万字線沿線の人口が2万人を超えました。

市内の主な炭鉱の開鉱
1905年(明治38年) 万字炭鉱開鉱
1914年(大正3年) 万字線開通
1917年(大正6年) 奈良炭鉱開鉱(のちの東幌内炭鉱)
1918年(大正7年) 万字炭鉱から美流渡炭鉱が独立
1918年(大正7年)

北炭美流渡鉱専用鉄道開通

当初は馬鉄。大正8~9年にかけ、汽車輸送に転換。

1919年(大正8年) 朝日駅開設
1919年(大正8年)

北海道採炭株式会社幌内炭磺開鉱(のちの朝日炭鉱)

炭鉱の閉山と鉄道の廃止

市内で産出する石炭は、一般家庭用暖房やボイラー燃料として生活と産業を支えてきましたが、石油や安価な海外炭の広がりによって石炭の需要が減少したことを背景に、1960年代半ば頃をピークに減産へ向かいます。

1969年(昭和44年)には北星炭鉱、1974年(昭和49年)には朝日炭鉱、1976年(昭和51年)に万字炭鉱が閉山し、1989年(平成元年)の伊藤炭鉱閉山により市内のすべての炭鉱が操業を終えました。また、炭鉱閉山は石炭輸送を担った鉄道にも影響を及ぼし、万字線と幌内線が廃線となりました。炭鉱で働いた人々とその家族は生活のために住み慣れた町を離れましたが、炭鉱操業当時の施設のうち旧朝日駅舎や万字炭山森林公園のズリ山などは炭鉱の遺産として現在でも見学することができます。

市内の主な炭鉱の閉山
1960年(昭和35年)

美流渡炭鉱、万字炭鉱が北炭から分離する

1965年(昭和40年) 美流渡炭鉱と東幌内炭鉱が合併し北星炭鉱となる
1967年(昭和42年)

北星炭鉱美流渡鉱専用鉄道(北炭美流渡鉱専用鉄道から改称)廃止

1969年(昭和44年) 北星炭鉱閉山
1974年(昭和49年) 朝日炭鉱閉山
1976年(昭和51年) 万字炭鉱閉山
1985年(昭和60年) 万字線廃止
1987年(昭和62年)

幌内線廃止

1989年(平成元年)

伊藤炭鉱閉山

岩見沢の炭鉱の歩みを紹介する施設

岩見沢郷土科学館常設展示室の写真

岩見沢郷土科学館2階常設展示室にある炭鉱の展示

岩見沢郷土科学館1階のホールや2階の展示室には炭鉱に関する展示があります。また、来夢21資料館で万字炭鉱や北星炭鉱で使用されていた資料を紹介しているほか、朝日・美流渡・万字の各地域には炭鉱関連施設が残されています。

この記事に関するお問い合わせ先

郷土科学館
〒068-0833 北海道岩見沢市志文町809番地1
電話:0126-23-7170
ファックス:0126-24-1925


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